今日は月に2〜3回の副業のため、京都に来ている。
3連休最後の祝日だからだろうか、妙に電車内が混んでいる。
そんな中、三島由紀夫の『金閣寺』を最初から読み始めた。
もう5回目だろうか。はっきりとは覚えていない。
「三島由紀夫の作品でどれが一番好きか」と問われれば、私の場合は『金閣寺』である。
主人公の心の内が難解であるせいか、妙に魅力を感じ、何度読んでも飽きない。
今回、特に気になったのが、脱走兵と有為子の話である。
『春の雪』の清顕と聡子の場合に、少し似ているようにも思える。
女性が美しいこと、妊娠していること、そして男性が死ぬこと。
ただし、物語の内容は全く異なる。
そもそも、脱走兵はなぜ脱走したのだろうか。有為子との関係が海軍の規律に違反していたのだろうか。
憲兵、というより世間に二人の関係が知られてしまったことが、不幸な結末につながったようにも思える。
そう考えると、清顕と聡子の場合は、二人の関係が世間に知られなくて本当によかった、と思ってしまう。
有為子は、脱走兵の居場所を憲兵に教え、そこへ案内する。
溝口はこれを脱走兵への「裏切り」と捉えている。
しかし、脱走兵が憲兵に向かって発砲したことを考えると、有為子は憲兵が来ていることを脱走兵に知らせたのではないだろうか。これを溝口は「私を、われわれを裏切った」と表現している。
有為子はまさか憲兵に発砲するとは思っていなかったのだろう、びっくりしてその場から走り出す。
ところが、脱走兵は逃げる有為子を背後から撃ち、そして自らも命を絶つ。
『金閣寺』は溝口の視点から語られる小説であり、有為子も決して好意的には描かれていない。
そのためか、これまで私は、この結末にあまり同情できなかった。
しかし今回、5回目にして、少し見方が変わった。
溝口の視点から離れ、冷静に、もう少し客観的に考えてみると、これは実に悲しい話なのではないだろうか。
何度も読んでいる作品なのに、今になってこんなことに気づく。
だから『金閣寺』は、何度読んでも飽きないのかもしれない。
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